2011 は、歴史に残る大きな自然災害、それに伴う原発事故の放射能の影響など日本だけでなく、あまりに通常でない自然災害の連続は地球全体の変異を強調し私たち人間にいろいろな呼びかけをしてくれました。今年ほど、“生きる残る事”や“死”について考えさせられる年はそうないのではないのでしょうか。
1月に研修旅行でスリランカ(光の国)へ行った時に、2004年10月におきた スマトラ沖地震の津波の被害に合った地域とその復興の様子を視察しましたが、沢山の犠牲者を出した地域の残された家族の顔には笑顔がまだ戻っていませんでした。 そしてあの、3月11日の東北の大地震と大津波は一気に15,000人もの命を飲み込んで、福島原発事故による、目に見えない放射線汚染の被害は今後も福島だけでなく多くの人の健康に計り知れない被害をもたらすという大変な事態を起こしてしまいました。 まだ余震が頻繁にあった、4月に岩手と宮城の県境にある登米市と仙台の会社に働く方々のへメンタルヘルスのケアに2度、6月には日米商工会議所の主催で 石巻の住宅街で瓦礫撤去やどぶ浚いのボランテイアに行きましたが、あまりに甚大すぎる被害を目の当たりにして思わず、深いため息と同時に涙がポロポロこぼれてしまいました。
埋め尽くされた瓦礫の山はいったい何処から手をつけていいのでしょうか。まずは何ともいえない臭い深緑色のヘドロの溜まった、どぶ浚いと児童公園の瓦礫+ヘドロの撤去を2日間やりました。休憩時間に無人化した町の家から出て来たおじさん(下写真左端)は、その日、海岸線から7キロある自宅にどっと押し寄せてくる津波に押し流されないようにドアにしがみつきやっと2階に避難する事ができて、命が助かったと話してくれました。周りの家の何人かの方々が津波にのまれてしまったそうです。
予想をはるかに超えた規模の大地震は、日本社会を麻痺状態にしてしまったようで、私自信もその後2~3ヶ月は時間が緩やかに流れていった感じがしました。
その後も自然災害は続き台風や洪水の被害は異常な規模で押し寄せ、沢山の方が被害を受けました。本当に、日本は地震や台風の国で、そして日本人の大半は辛抱強い国民だと改めで実感しました。 世界経済もギリシャの破綻からEC不安定と継続する米国経済の低迷が円高を進ませ、若者は先が見えない将来を悲観的にみて、元気がなく、内向き思考がより強くなり、自分の若い時と比べると、消極的な生き方から抜け出せないのが気の毒です。 そんな中、決して物質的に豊かでないプータンの国王の来日で唱えられた“国民総幸福度”がとても新鮮に思えました。
今年の個人的なプラスの出来事のハイライトの一つですが、8月に親しい友人が心臓発作で突然倒れて心肺停止になり意識不明状況に陥り、集中治療室に何日かいたあと、悲観する中、突然目を覚まし蘇生したのです。後遺症もなく、スリムになって若返った彼女にお会いしてとても感激。ミラクルは本当に起きるのですね!!!
9月28日に母、松枝が90才の生涯を終えました。最後は孫やひ孫に看取られながらの、とても平和なお別れでした。父の亡くなった年も神戸震災やサリン事件のあった大変な年でしたが、母も大震災の年に逝ったのは偶然なのでしょか。沢山の方からお悔やみの言葉をいただき有り難うございまた。優しい、自分の事より、他人へ思いやりを優先し、人との絆を大切にした母に感謝です。
年末が近づくにつれて、振り返り思う事はいつもより多くの災害が変化があり、個人的には悲しいお別れもありましたが、そんなときにはいつも、回りに家族がいて、助け合えた事に今年は特に感謝です。新しい仕事やイベントを通して、新たな出会いも沢山あり、私の生活の大きな励みや支えになりました。 改めて、私に、お仕事のチャンス、愛と友情と、エネルギーを与えてくださった皆様方にこころから感謝申し上げます。来年はコンサルテイングの仕事を東京だけでなく、地方都市でも広げ、福島原発の放射能被害から子供を守る為のボランテイアの仕事にも(長野の佐久や小諸市にホームステイなど)に時間を費やす所存です。
2012年もどうぞよろしくお願い致します。
FOOTSTEPS 代表 鈴木 桂子
日米商工会議所 人事マネージメント・コミテイ・ヴァイス・チェア
